二章[二章]昇は家へ向かいながら茂子の突然の訪問は何だろうと考えていた。 昔の茂子からは想像もつかないくらい積極的なのだ。 でも、そんな事どうでもいいや、寂しくなって来たのだろう。 この調子だと時々会える事になりそうだ、と考えた。 会っている内に事情がおいおいに判ってくるだろう、と思った。 仮に茂子が不幸だったら力になってやればいい。 そうでなければ昔のように友達でいればいい、いや友達以上恋人以下の関係になれれば 尚いい。 そんな風に思った。 今の昇には何が残っているのか、この先何が残るのか。 昇は茂子の父から茂子との交際を断られ、茂子本人からも「私自身だけを見詰めてくれないのならついて行けない」と 言われて25年近くたつ事を思っていた。昔、茂子は辛い表情で別れを告げた。しかし、涙は見せなかった。 昇は茂子の気持ちはそれだけ物だと自分に言い聞かせて今日迄生きてきたけれど、今夜会った茂子の涙を見て そうではなかったと直感したのである。 昇と別れた茂子は何度か見合いをして結婚したが半年足らずで離婚をし、奈良とも疎遠になってしまった。 東京へ行った茂子はどんな仕事をしていたのだろうか、恋人はいたのか、いろんな事が同時に脳裏をよぎった。 昇は茂子と別れた後、組合の活動だけでなくあらゆる活動に手を出していった。 そんな昇を活動仲間達は「学生時代からの筋金入りの活動家」と評した。 その陰で「あれでは世間一般で言われる出世は望めないだろう」と囁かれた。 そんな噂は昇の耳に入らなくても昇自信がわかっていた。 それでもそうせずにはいられない程茂子との別れは昇にとって辛いものだった。 昇は酒の量が増えていった。 活動者会議が終わると仲間達と連れ立って呑みに行った。 努めて明るく振舞って呑む酒はいくら呑んでも昇を酔わせる事はなかった。 その頃から会議で一緒になる信子がいつもついて来るようになっていた。 ある日、昇は体調が悪かったのか、深酒をしてしまったのか、悪酔いをして気分が悪くなり、酔いつぶれそうになった。 信子は「私のアパートがすぐ近くだから少し休んでいけばいいわ」と言ったので飲み仲間に送って貰い信子の部屋で横になった。 昇は苦しかった。 信子は氷水を作ってくれた。 小一時間も休むと気分は落ち着いた。 「ノッコ、ありがとう。 もう大丈夫だから帰るよ」と言うと信子は「本当にもう大丈夫 なの。 もう少し休んでいけば」と言って引き止めたが「いや、女性の部屋に夜遅くまで男性がいるのは良くない。 君も明日は仕事だろ」そう言ってアパートを出た。腕時計を見ると夜半であった。 信子は病院の受付をしていた。 その3ヶ月ほど後の事、大学時代の友人から呼び出しがあり、二人で飲みに行った。 その友人は「シーちゃんさ、いろいろ見合いをしたらしいけれど警察官だけは嫌だと言って親を困らせたらしい。 けれどもお父さんの友達の世話で建設局に勤めているエリートと婚約したそうだよ。 将来はかなり有望視されている男だという事だ」と耳打ちをした。 茂子も建設局は転勤が多いと聞いて 「いろんな所へ行ける」と言って喜んで婚約をしたそうだ。 とその友達は言った。 昇は普通なら転勤の多い職業の男は敬遠されるのに、と思ったが黙って聞いていた。 その友人は昇に「君は革命のより勇敢な戦士、彼女は体制側エリート、とより一層溝が深くなるね」と言った。 昇は冷やかに「彼女はプチブルだから」と答えた。 その友人は「昇、冷静になれ。 引き返すなら今しかないぞ。 彼女のお父さんに もう一度掛け合ってみろ。 戦後の30年、日本は激動的に変化はしたさ。 しかし、60年安保のような激動はもう来ないと思うぜ。 考えてみろ。 あのベトナムが開放されたんだ。 アメリカですら負けたんだ。 これからの世界は平和に向かって話し合で除々に変革されていくんだよ」と耳元で言った。 昇は「お前は僕に転向しろと言うのか。 あの文明の最先端のアメリカが負けて名もない人民が素手同様で勝ったんだ。 まだまだこれからさ。突沸現象という事だってあるさ」とイラついて言った。 「そうじゃない。 昇、今の君のようなセクト的な生き方は良くないと忠告しているんだ」 それを聞いた昇は「吉岡、君は変わらないね。 所詮、君はノンポリのシンパでしかないんだよ。熱く燃える心に欠けているんだよ。 今の社会に怒りを持てないのか」と酔った勢いも手伝って激しく言った。 吉岡というその友人は「そうか、僕ともおしまいなんだね」と言って勘定を済ませた。 帰り際に「田中、心境が変わったらいつでも連絡して来いよ。僕はいつでも待っているよ。突っ張るな、つぶれるぞ。」 そう言い残して出て行った。 吉岡と別れてから更に半年が過ぎた。 桜の咲き始めた頃茂子は式を挙げた。 式を挙げた茂子は夫の赴任地の能登の方へ行ってしまった。 昇は平静を装っていた。 その頃、昇は信子の部屋へよく泊まるようになっていた。 誰もそんな二人に忠告する者はいなかった。 昇には、むしろ素晴らしい活動家同士の恋愛を見守っているかのように思えた。 更に半年が経ち建設省の労組の仲間から茂子が能登で離婚をして東京の叔母を頼って上京したと聞かされた。 昇の心はにわかに騒いだ。 自分でもソワソワしているのが判った。 そんなある日、信子が「話したい事がある」と改まった声で言った。 昇は内心「そうか」と思った。 やはりそうであった。 「今日、病院で検査してもらったの。 そうしたら3ヶ月ですって」と信子は嬉しそうな 顔で昇に告げた。 いつも化粧のしない顔が心なしか華やいでいた。 後ろで髪を束ねただけの信子は「私の母にきちんと話してね」と甘ったるい声で言った。 昇は「ああ」という返事をした。 そして「指輪も買って上げなくちゃいけないね」と言うと信子は活動家の模範解答のように「私はそんなブルジョワ的な儀礼はいらないわ。 まるで私は他の男のものよ、と言っているみたいで。私はあなたの持ち物でも付属物でもないのだからそんな物はいらない」と答えた。 昇は信子が喜ぶだろうと思ったのに、と心の中でつぶやいた。 その2ヶ月後、お腹が目立たない内にといって二人は披露宴をした。 多くの仲間が会費を出して出席をしてくれた。 にぎやかなパーティーであった。 それからの昇は落ち着きを取り戻し始めた。 学校では一部の父兄から「とても良い先生よ」と根回しされ信頼された。 しかし30才の誕生日を過ぎたある日、突然熱が出て激しい嘔吐感が襲い体が持ち上がらない程の倦怠感と食欲不振に見舞われた。 信子は昇を病院へ連れて行った。 急性の肝炎と診断されそのまま入院を余儀なくされた。 入院中、何となく妻の行動が耳に入ってきた。 「どうも彼氏がいるらしい」という噂であった。 信子は同僚に「もっと素晴らしい活動家だと思っていたのに、結婚してしまうと闘志がどんどんなくなってしまってつまらない、ただの 男だったわ。そのうちたてがみの抜けたライオンのようになるのじゃないかしら」と言っている、というものであった。 昇は子供の為にも落ち着いた生活をする方が望ましいと思ったのと吉岡の「セクトはいけないよ」という言葉が頭から離れないのと 相まっていたのだった。 退院をしてからの昇はますます静かな男になった。 信子はますます元気を増した。 昇は体の不調を理由に信子とは別の部屋で過ごす事が増えた。 だんだん亀裂が深くなり、家庭内別居の状態になり、数年後昇は別居した。 子供は男の子で小学校の高学年になろうとしていた。 信子は別居を機におおっぴらに相手の男と会うようになっていたが昇は心の痛みも嫉妬もなかった。 そして離婚に至るのにそう時間はかからなかった。 大したトラブルもなく離婚が決まった。 信子は今回も活動家の模範生のように慰謝料の請求はしなかった。 昇は養育費の支払いだけを約束して別れた。 [三章へ] |